院長のひとり言 日記

手取川の大洪水の話

 台風8号は石川県は全く風もなかったのですが、大雨による被害が、各地ででました。

「降る雪や明治は遠くなりにけり」これは、明治34年生まれの俳人中村草田男が、昭和6年に母校の青南尋常小学校(現在の港区立青南小学校)を訪ねた時に生まれた句ですが。この日、降りしきる雪の中に佇み、懐かしい校舎や校庭を眺めていたら、かつて自分がこの場所で過ごした「明治」という時代が、遥か遠い過去のことのように感じられた、と詠ったものです。

 さて今では、昭和は遠くなりにけりという時代でありますが、ちょっと昔の手取川の洪水の話をしたいと思います。私が小学校に入るぐらい前、祖母と一緒に寝ていた時にこの洪水の話をしてくれたことがありました。祖母は白山市出合島町に住んでいて、12歳の時にこの大洪水で川北や手取川の周辺の人々が家を流されたり、川に流さて亡くなったりしたということを話してくれました。その時祖母は、周りのみんなで避難したのですが幸いにも出合島町までは水が入ってこなくて、被害が無くてよかったと話してくれました。ものすごい体験をしたのだなあと、感慨深く感じたのを覚えています。

 近年、この時期になると、日本各地で洪水の被害が出るようになりましたが、昭和9年の7月11日 、手取川大洪水では、白山麓から扇状地全域に甚大な被害をもたらしました。その年の冬は大雪で、しかも梅雨時期になるまで、低温傾向が続いたため山間部には多量の雪が残っていました。さらに梅雨期に気温が上昇し、7月10日朝から降り続いた豪雨により、残雪がいっきに溶けて流れ出しました。梯川、動橋川、大聖寺川、犀川の各河川も大増水し、各所で堤防が決壊し、加賀平野を中心に大被害が発生しました。死者97人、行方不明15人、床上浸水4197戸、床下浸水3552戸、県内河川全体の堤防決壊か所、384か所に及びました。今では手取川は、しっかりと防波堤を築かれ、水位も低く氾濫など考えられないと思われますが、この手取川は母なる川として大地を沃野にする反面、県内でも有数の河川勾配をもつ暴れ川のため、一度大水となって牙を剥くと、多数の死者を出すまでの惨憺たる被害をもたらしました。手取川は「七たび水路(みずみち)を変えた」という大氾濫川で、江戸時代には記録として残るだけで9回、明治年間に4回の沃野を泥海と化す災害が発生しています。今ではこのような大災害は起きないかもしれませんが、世界の気象の変化から単位時間当たりの降水量の増加し、洪水や浸水の被害が相次いでいるので、いざとなった時の備えをしておく方がいいかもしれませんね。

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