コストコに行ってみて
先月、野々市のコストコがオープンし、行ってきたのですが、人の多さに参ってしまいました。会員になると高い年会費を払うことになるので、つい買わなければ損すると思いたくさん買い物をしてしまいました。うまく消費者の心理をついて売り上げを伸ばしているなあと思いながらも。若い人や、お出かけ好き、新しいもの好きが、行く所だなあと感じました。会員以外は店に入ることも出来なくて、店の出入り時に毎回、写真入りの会員証、出る時にはレシートをチェックされます。最近ではもう平日は、お客もそれほど多くないので、行くなら土日以外がいいと思います。
学校の宿題のあり方について
最近では宿題代行業者というのがいて、夏休みの時期になると、小学生や中学生、高校生の宿題を有料で請け負う業者のことである。読書感想文、工作、計算の答案、など料金が決まっていて、その年代に合わせたようにやってくれる。依頼者は勉強嫌いな子供の保護者もいるが、ほとんどが中学受験を備えるような教育熱心な親である。つまり受験勉強を優先し、宿題は代行業者に任せるというわけである。業者が言うには、質の低い宿題、あるいは宿題の内容が個人に適していなければ意味がないという。一方文部科学省の担当者が言うには長期休業期間は勉強の習慣を身に着けることが目的。代行はカンニングや替え玉受験と同じだと指摘した。また教育研究の偉い人は、子供の生活は学校が中心。宿題という同じ課題を共有することで、子供同士の共感が生まれる。だから代行に任せては良くないという。
私はこの新聞の記事を見て、代行業者やそれを利用する人をあからさまに否定している人は、受験を経験したことのない人、あるいは学校の無意味な宿題を出されたことの無い人がただ、もっともらしい理屈をこねて倫理を唱えているに過ぎないと思った。
自分の話になるが私が中学3年の時、受験を控えた夏休みに、大量の宿題であるワークブックが出された。自分のやりたい勉強がしたかったので、私は半分ぐらいの宿題の答えを写して提出した。宿題は入試の問題などハイレベルな問題ばかりだったので、苦手だった社会や、基礎的な勉強がしたかったのに、自分に合わない宿題をするのは時間の無駄だと感じていた。高校1年、2年の夏休みも大量の宿題が出された。古文の長文全部に助詞とか助動詞に分けて印を付け現代語に訳すとか。英語の長文を20章ぐらい訳してノートに書いて提出とか、これらは、自分に合った勉強でなく、ただの強制労働にすぎなかった。自由研究や読書感想文、基礎的な問題ならほとんどの生徒のためになるし、それほど無駄ではないからやるのだが、勉強のやり方まで指定してとても面倒な宿題を出したり、自分よりレベルの高い問題の宿題などは、私には無意味の他ならなかった。部活動をやって時間がなかったから余計に無駄な勉強をしたくなかった。高校3年の時、初めて宿題が無くて、先生から自分のやりたい勉強をすればいいよ、と言われた時とてもうれしかった記憶がある。だから本当に時間がない受験生などは、一分一秒でも、大事にしたいのだから。自分のやりたい勉強をする時間を与えることが一番だと思う。もちろん、学校のカリキュラムは、きちんとこなし、学校生活をきちんと過ごすことが大前提であるが。